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cxzas

2018年02月01日

風に見ているんだ

いやぁ~痛いなぁ。実に痛い。
主人公はまさにぼくと同じ年齢。
定年後の悪あがきする心理描写が分かりすぎて実に痛い。

著者は女性なのに、男性の視点で書かれている。
たしかに巧妙に書かれているものの、男性の気持ちとチト違う。
それよりも、彼の妻荃灣通渠、あるいは娘の視点で書かれている部分が実に面白い。
そっか、女って定年後になった夫あるいは父親をそういう風に見ているんだ。
実に参考になりました。

連載小説だから、「小説」としての物語性がなければ体裁が取れないのは分かるけれど、岩手の故郷関係の物語りはあまり現実味がなく面白くなかった。

【散る桜 残る桜も 散る桜】の俳句は知らなかったけれど、身に染みる。
サラリーマンである限り、どんなに出世しようが誰でも「終わった人」になることは避けられない。
サラリーマンでなくとも、人間である以上、終わった人になることを受け入れざるを得ない。
分かっちゃいるけど中學派位、誰もがソフトランディングできるわけじゃない。
主人公は結局ハードランディングしてしまうのだが、その引き金を引くのが「不完全燃焼感」でしょう。

優秀な人ほど自分はこれで終わりのはずがないと考えてしまう。
いや、ぼくのように優秀な人間でなくとも、考えてしまうのだ。
それが男というもの。
女には分からない。

要は気持ちの持ち方で、定年後15年しか残っていないならhifu 價錢、決して長くはない人生を自分らしく楽しめばいいじゃないかと切り替えられるか否か。

定年を経験した夫婦以外の人が読んでも、この小説の伝える現実味は分からないでしょうね。  


Posted by cxzas at 17:28Comments(0)

2018年02月01日

四季の変化は人

日本人ほど奥ゆかしい民族はいないかもしれない。
日本列島が出来たのは3億年前頃で、中国の北部にあった大陸が海溝に沈み込むと、陸がなくなって、陸の土砂が、大陸に運ばれてその土砂がくっついて大きくなり、およそ3億年の間に、日本列島の元が出来たらしい。それから、およそ1500万年程前に、大陸のはしの方で、火山活動がおこり、この大陸の端がわれ、そのわれ目はどんどんと広がり、さらに海面が上昇して、海になったのが日本海だそうだ。
日本列島はそれほど古い土地ではない。アフリカやヨーロッパ、中国、アメリカ、オーストラリアなどに比べて何億年前の古生物が豊富に出てくるわけでもない。また、ホモ・サピエンスの前の人骨の出土もない。ホモ・サピエンスが世界中に拡散していった一端が獲物を追って大陸とくっついていた頃の日本列島に渡ってきて、この豊かな自然の島に居着いたのが日本人のネイティーブである。彼らは、海面の上昇によって列島に閉じ込められ、何千年、何万年もかかって外部との連絡を取ろうと苦労し、舟を考案し、日本列島全体に広がり、交易を行い、大陸ともつながるまで、頭を絞ったことだろう。
生物は、環境との戦いで進化を果たしてきた。人類はそのDNAを最も知の進化という分野で進化した生物だった。日本列島に閉じ込めれた人々は、その地の環境に適応して生き抜かねばならなかった。日本列島は、豊かな自然に恵まれた地だが、夏は40度に達し、冬には冷夏10度と、四季の変化は人々に恵みと厳しさを与え、のんびりと自然の恵みに浴する環境ではない。それが日本列島に住む人々に生きる知恵を育み、単に狩猟採集に頼ることなく、植菜、植木(栗の木など)を行い、農業の元を培った。
日本列島は、極東の地とは云え、大陸には勇気と知恵があれば渡れない距離ではなかった。この自然の条件が日本の地の人々を海洋の民として、海洋に出て漁を行い、交易を行った。
これらの人々の営為は、日本列島が極東の島ではあったが、今1億以上の人々が暮らせる広さがあったという条件は欠かせない。また、大陸に近いとは云いながら、大陸からの侵攻は元寇だけであったと云うことも日本人の形成に独特の精神構造を作り上げた。
日本のような地は世界中探しても類を見ないと言って良い。それは良い意味だけではない。所謂、「井の中の蛙」的な側面、「前例主義」の保守構造など未だに日本に陰を落としている。
歴史の概念は進歩の概念が伴う。ごく最近まで人々は人間が生物で最も進化した存在だと言い切っていた。進化とは適応であって進歩は人間の概念である。地球上に生物が現われ、生成消滅を繰り返し、今日に至っている。これまでの地球上で人間(ホモ・サピエンス)は高々10万年程度。恐竜は2億年以上。
鳥は恐竜の子孫となると、その適応性としぶとさには敬意を表したい。
非現生人類の進化とホモ・サピエンスの進歩は全く別である。非現生人類が脳の進化を遂げることでホモ・サピエンスという現生人類に進化することで、非現生人類は消滅した。現生人類に新たな進化の証拠はない。
進化した現生人類は新たに人間の営為の概念である進歩の概念で現生人類の歴史を刻む。人間の歴史は、現生人類の脳の進化による知の集積に基づく営為の連続である。世界中の人種は皆同じ現生人類である。その違いは営為の違いであり、進歩は営為の連続性の問題である。人間の歴史は近世と言われる時期まで営為の連続性で形成されていた。ところがヨーロッパを中心とする領域で宗教改革とともにカトリックとプロテスタントのキリスト教の分裂に伴い新修道会が小教区を強化し、民衆信心を発達させるという立場から新世界への布教、さらにプロテスタントがカトリックと対立することに伴い新世界に進出するなど、地理上の発見という歴史状況と相まって世界各地の固有の歴史的連続性を破壊するヨーロッパの侵攻が始まる。  


Posted by cxzas at 17:27Comments(0)