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店長情報 › 夏は万事万物が全盛に向かう時 › 悲喜こもごも多種多様

2018年01月17日

悲喜こもごも多種多様

「この道はいつかきた道 ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる」幼い日、遊び疲れて茜色の夕日を浴びて家路に帰る道すがら野辺の道を歩きながら口ずさんだ童謡唱歌の一節です。何故か初老の齢に達した今でも、一人野良仕事の合間に、心が塞ぐ時など腑と気付けば口ずさむことが針灸療法よくあります。私らの世代の日本人ならば誰でも知ってる作詞北原白秋、作曲山田耕筰による有名な愛唱歌「この道」です。北原白秋は昭和17年に亡くなりましたが この歌詞に登場する情景は北原白秋が晩年に旅行した北海道と、母の実家である福岡県南関町から柳川までの道が歌い込まれているとのことです。


全く唱歌の視点からは外れるんですが、私は「この道はいつかきた道」と口ずさみながら心に思い描くのは、私達が一人ひとりが誕生から命尽きるまで経験を積み重ねつつ人生を歩む中途で立ち止まると、あれれ、いつかどこかで見た景色だ、かつて体験した情況が顕れて出て驚くこ痔瘡治療とがあります。その情景には悲喜こもごも多種多様ですが、そんな折私は、この歌詞「この道はいつか来た道」がメロディー付きで脳裏を流れていきます。

 
職場や地域では時には複雑な人間模様の中で時にはちきれて立腹したり、落ち込んだりします。家族間同士でも親子、兄弟、親族同士の思惑から行き違いが生じて心理的葛藤に悩むことがあります。悔し涙を溢し耐えて耐えてただ頭を垂れて時の経過をじっと待つしかない辛さ、立てないほど落胆をしたり、ただひたすら噴出する憎悪の気持ちを心に押し込めて耐え抜いた切ない気持ちなど誰でも幾度と無く体験しているのではないでしょうか。我が身に起こる不可避で理不尽な屈辱感に贖えない無力感に遭遇して涙したことさえもあったかも知れません。

還暦過ぎて、古希に届こうとする齢の初老人(びと)ですが、人生路なんて所詮でっかいアラビア数字の8の線上を歩み続ける様なもので、歩み続ければ8の線上に必ず交差している景色があって、立ち止まると腑といつかどこかで見た光景と気づかされます。人の一生なんて所詮トータル珍珍薯片で「上がってなんぼ」の世界で、長い人生行路往き先々で、度々トラブルに遭遇します。それは家族間同士や他所との思惑の相違から浮き出て、対立を生じて平穏を奪い去ります。しかし道すがら喜怒哀楽を伴って体験した感動や苦渋の人間模様は、必ず交差路で再会することになるので、諦めず腐らずリベンジの志を忘れずに機を静かに待つのです。あの時身に染みた温情や涙に暮れた屈辱に借りをを返すために、心の平穏を取り戻すために交差の時間(とき)を待つのです。
若い人達に仏教用語で云う六道輪廻で諭しているように、「今あなた達が、老父母や幼子にする行為は、あなたが老いたり、幼子と生まれ変わった時、きっと次の世代から同様にされる行為なのです。肝に銘じて今を生きるのが賢明です」と言葉を投げかけたいのですが。

童謡愛唱歌「この道」の歌詞ですが、次の通り続きます。

あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよほら 白い時計台だよ

この道はいつかきた道 ああ そうだよ お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲 ああ そうだよ 山査子(さんざし)の枝も垂れてる


Posted by cxzas at 11:14│Comments(0)
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